2026/08/01 10:47
ALPS BOOKSインタビュー企画「十山十色〜人それぞれの山もよう〜」。山に親しむ人の心身のコンディショニングをテーマにした書籍『ヨクキク山ヨガ』の出版に先立ち、山に関わり、その文化を支え続ける皆さまの貴重なお話をご紹介いたします。今回お話を伺うのはプロ登山家の竹内洋岳さんです。

日本人で初めて、世界に14座ある8000メートル峰すべてに登頂したプロ登山家、竹内洋岳さん。14座のうち11座は、酸素ボンベを使わずに登頂を果たしました。14座登頂後も、未踏峰への挑戦や、ノエビアグリーン財団との野外教育プロジェクト、ネパールにおける農業分野での取り組みなど、精力的に活動されています。
今回はそんな竹内さんに、ご自身の経歴、怪我からの復帰劇、高所登山中の呼吸や登山者へのメッセージまで、幅広くお話を伺いました。
山の始まりは、祖父に連れられたハイキング
――さっそくですが、最初に登った山は、覚えていますか。
正確な記憶は定かではありませんが、おそらく祖父に連れて行かれたハイキングですね。たぶん、東京近郊の奥多摩や丹沢だったと思います。小学校1、2年生くらいだったでしょうか。山に行ったことは、なんとなく覚えています。ただ、山よりも早く連れて行かれていたのはスキーです。スキーの記憶の方が圧倒的に多いですね。小さい頃の写真も残っています。
祖父は登山家ではないですが、戦前から山とスキーをしていた人でした。いわゆるハイカラな人ですね。他にもカメラや車も好きでした。そういう趣味に、孫である私を付き合わせていたのだと思います。
――とても格好いいお祖父さまですね。
少し変わった人でした。家は布団屋だったのですが、他にも何かやっていたのだと思います。ただ、家族全員、祖父が何をしていたのか、きちんとは知りません。江戸の下町文化などでは、布団は一大財産で、嫁入り道具でもありました。そういうものを扱っていたので、当時としては、それなりの商いをしていたのだと思います。そんな祖父に、山とスキーを教わった。それが私の山の始まりです。
赤ちゃんから、もう一度やり直す
――それから、竹内さんはヒマラヤへ通うようになり、2007年にはガッシャーブルムII峰で大きな怪我をされています。復帰へのリハビリでは、どんなことをされたのでしょうか。
事故後、寝たきりのまま2週間ぐらいかけて日本に連れて帰ってきてもらいました。それから手術を受けるんですけど、人間って2週間寝ていると、手術のあと、赤ちゃんからやり直しになるんですね。寝返りを打つところから始まって、ハイハイをして、つかまり立ちをして、それからやっと歩きだすわけです。もともと歩けていたわけですから、つまらないし、苦痛でもあります。
でも今思うと、赤ちゃんの成長をもう一度体験できたようで、少し面白かったですね。楽しくはないですけど。
ちょうどその頃、私には小さい子どももいました。子どもが同じように歩けるようになっていくのを親として見ていた時期でもあったので、自分自身が同じ時期に同じ経験をしていることが不思議でもありました。私たちは、赤ん坊は当然歩くようになるものだと思っています。でも実際には、赤ん坊は相当な努力をして歩くようになる。それを身をもって知りました。
――具体的には、どんなトレーニングをされたんですか。
背骨が折れているので、背骨に負担をかけないトレーニングをしなければいけませんでした。走るとか、衝撃を受けるトレーニングはできない。リハビリの療法士の方とも相談した結果、腰に一番負担をかけずに体全体の筋力をつける方法として、リカンベント式の自転車を漕ぐことになりました。普通の自転車だと衝撃を受けてしまうんですね。寝転がったような姿勢で漕ぐリカンベント式の自転車が、背骨に負担をかけずに体全体を鍛えるには良いということでした。
そこで面白かったのは、「どこをトレーニングするか」だけではなく、「どこに負担をかけないか」という考え方です。スポーツには怪我がつきものです。だから、怪我をしたところに負担をかけず、狙ったところに負担をかける。その考え方は、スポーツの世界ではとても重要だと教わりました。
余分な動きをしない、省エネルギーの登山へ
――それはヨガの練習にも通じるところがあります。復帰後、体の使い方は変わりましたか。
大きく変わりました。体の可動範囲が大幅に狭くなりましたから、できるだけコンパクトに動く。体に衝撃や負担をかけないように、省エネルギーで動く。そういう動きをしなければいけなくなりました。そもそも高所登山は、省エネルギーが重要となる世界です。以前はパワーとテクニックでカバーできていた部分もありました。でも怪我をしてからは、そういった部分を見直さなければならなくなりました。登山期間の短縮や装備の軽量化といった戦術面だけでなく、体への負担を減らすために、できるだけ余分な動きをしない。余分なことをしない。そこはずっと気をつけていました。
それは内臓も含めてです。食事の面でも、できるだけエネルギーを使わないようにする。食べると、体への負担が増えます。酸素の消費量も高まる。だから、できるだけ食べたくないんですね。食べなくて済むようにする。そこも、少しヨガに通じるのかもしれません。エネルギーを節約する、ということです。

高い山と深い海に通じる呼吸
――ヨガでは呼吸がとても大切で、今回の本『ヨクキク山ヨガ』でもヨガの呼吸法を紹介します。竹内さんは高所にいるとき、呼吸は意識しますか。
意識しますね。ただ、高所では鼻水垂らしながらですので、鼻から息ができないことも多いです。心臓も、100メートル走をダッシュしているような状態です。非常に荒い呼吸になります。のんびり呼吸していたら、生きていけない状態になっている。状態としては、溺れているようなものです。溺れている状態の中で、いかに呼吸を続けるかを意識している感じですね。
ヨガの呼吸法は、会得していれば高所でも役に立つと思います。たとえばテントの中にいるときや、休憩するときには効果があると思います。ただ、高所で行動しているときは、必死に息をしているので、呼吸法もへったくれもない、という状態です。
――高所登山のための特別な呼吸法のようなものはないのでしょうか。
シェルパの呼吸法というものがあります。シェルパが伝統的に使っていた呼吸法です。最近はシェルパも酸素を使うことが多いので、今のヒマラヤ登山では目撃する機会は少ないかもしれません。日本でいうと、海女の磯笛に少し近いものです。海女さんが水中に潜ってから上がってきたときに、素早く換気するための伝統的な呼吸方法があります。それと、シェルパの呼吸は似ているんですね。
吐いて、その反動で吸う。細く吐いて、最後に吐ききるのではなく、少し残してまた吸う。呼吸が上がってしまったときに、その呼吸を早く元に戻すために使う。私もヒマラヤに行き始めた頃に、シェルパから教わりました。今でも時々、意識して使うことがあります。
山と海でまったく違う場所なのに、似たような呼吸法がある。厳密には違うと思いますが、面白いですよね。
14座を登っても「すごいだろう」とは言えなかった
――大怪我からの復帰を経ての14座登頂というのは、大変なことだと思います。竹内さんご自身はどのように捉えていますか。
14座というのは記録です。8000メートルも14座も、すべて数字ですから、数字になった時点でそれは記録です。記録を扱うのだから、それはやはりスポーツとして捉えるものだと思います。日本人初というのは、名誉なことですし、幸せなことでもあります。ただ、記録というのは後からどんどん作られていくものです。日本人初ということに、どれほどの意味があるのかは、少しわからないところもあります。
私は古い時代の登山の人間です。周りには、もっとすごい先輩たちがたくさんいました。たとえば山田昇さんもそうです。山田さんは8000メートル峰9座に登頂し、1989年にマッキンリー登攀中に遭難死した、日本を代表する登山家の一人です。もし生きていたら、14座全登頂など当然のようにできていたと思う先輩たちが、私の周りには何人もいました。
だから、とても「14座を登りました、すごいでしょう」とは言えません。むしろ、14座を登ってなお、怒られるような世界です。「お前だったら、もっと違うやり方があったんじゃないか」と言われる。雪崩にあっても、労られるより「なんであの雪崩を見抜けなかったのか」と怒られる。そんな厳しい世界ではありますが、それはありがたいことでした。そういう先輩たちに恵まれたから、山に謙虚に向き合いなさいということを、ひたすら教わることができたんだと思います。
今の人たちは、そんな過去の記録や先輩たちに囚われずに登山をしていいと思います。むしろ、囚われるべきではない。新しい価値観を作っていってほしい。私は、私が過去に囚われた登山家の最後であってほしいんです。

子どもたちに挑戦を求めるなら、大人も挑戦しなければいけない
――現在、力を入れている活動についても教えてください。
今、最もアクティブに動いているものとしては、ノエビアグリーン財団のプロジェクト「山の学校」があります。子どもたちに登山を体験してもらう活動です。ただ、よくあるツアーやガイド登山とは違います。子どもたちが一年間かけてトレーニングをして、自分たちで計画しマネジメントを身につけ、最終的には自分たちの判断で登山をする。

メンバーは一般公募して、その中から選考します。選考というと、経験値の高い人や、能力の高い人だけを集めているように思うかもしれませんが、必ずしもそうではありません。私たちは、登山家になるためのプロ教育プログラムを作っているわけではありません。山が上手になることだけを求めているわけでもない。山という場の中で、人が成長することを求めています。
学校や、それぞれの生活環境や、出身地では、決して交わることも出会うこともない者同士が山で出会い、同じ課題に取り組む経験をし、山の中での体験で人が成長していくことを求めているのです。だから、あえて統一された基準ではなく、バラバラの個性と特性を持った子どもたちが集まっています。
――それは、現場としては大変そうですね。
めちゃくちゃ大変です。現場から不満や不安が出てくることもあります。でも、私が子どもたちに挑戦を求めているのに、なぜ我々が挑戦しないのか、と思うんです。子どもたちに挑戦を求めるなら、我々大人も挑戦する姿勢を見せなければいけない。子どもたちは山で苦悩するでしょうし、疲れ切ることもあるでしょう。ならば我々も、苦悩し、疲れ切るほどに子どもたちと向き合うべきだと思っています。
自分のできる範囲だけでやっていたら、自分を超えていかない。私自身も成長できない。子どもたちにそれを求めているなら、我々も苦しんで、混乱して、挑戦しなければいけない。大人はどうしても、自分たちの方が偉いと思ってしまう。教えてあげる、と思ってしまう。でも違うんです。我々は子どもから学ばなければいけない。学ぶというのは、とても大変なことです。勉強もしなければいけないし、「教えてください」とお願いもしなければならない。それができる大人でなければ、このプログラムは成立しないと思います。

登り続けるために大切なのは、計画性
――この本は、主に中高年の一般登山者に向けて、これからも長く山を楽しむための本として作っています。竹内さんの経験から、長く登り続けるために大切なことを挙げるとしたら何でしょうか。
計画性だと思います。山の非常に面白いところ、不思議なところは、すべての人にとって平等だということです。他のスポーツには、ビギナー向け、初心者コース、体重別、年齢別、段や級によるクラス分けなどがあります。
でも登山では、どんな初心者だろうが、どんなベテランだろうが、同じだけ雨に降られて、同じだけ風に吹かれて、同じだけの距離を歩きます。初心者だから加減してくれる、シニアだから加減してくれる、ということはありません。登山には、シニア割もビギナー割もないんです。
だからこそ、どの山を選び取るかによって、誰もが最高の挑戦をすることができます。同じ山に登ったとしても、その山をよく知っている人にとっては中級者コースかもしれない。でも初めての人にとっては、大きな挑戦になる。どんなに登り込まれた山でも、どんなに多くの人が登った山でも、初めて登る人にとっては大チャレンジです。人によっては、すごく危険な山にもなる。
だから、年配の方々がこれから長く登山を楽しむためには、どの山に、どの時期に、どの季節に登ることが、自分にとって最高の挑戦になるのかを選び取ってほしいんです。どの山に、いつ行くか。誰と行くか。その計画性によって、その山を常に自分にとって最高の山にする。人と同じ山に登ろうとするのではなく、自分にとって最高の山とは何なのかを考える。世界中の山から、自分にとって最高の挑戦ができる山を選び取ることができるんです。
年齢を重ねれば、登れる山が減っていくこともあるかもしれません。でも、登れない山に登ることだけが挑戦ではありません。登れるか、登れないか。そのぎりぎりがどこなのかを計画することが、自分にとって最高の挑戦になる。そうすることで、怪我をしにくくなります。疲れ切ることなく、自分をすり減らさずに山を楽しめる。最高の挑戦がどこでできるかを計画で選び取ることで、登れる山は増えていきます。登れる回数も増えていく。登り続ける時間も増えていく。私は、そこが大切だと思います。
育った山は剱岳
――最後に、竹内さんが一番好きな山を教えてください。
剱岳です。大学に8年いたんですけど、剱岳には8年通いましたからね。当時は、そこそこ隅から隅まで登ったつもりでいました。でも今思い返すと、まだ登っていないところがたくさんある。剱岳は、不思議な山です。
私が育った山は、やっぱり剱岳だと思います。また少し、剱に戻ってみたいという気持ちはありますね。ただ、今は昔登れた場所でも登れなくなっているところもあります。岩が脆くなったり、雪が減ったり、植生が変わったりしている。人が入らなくなったことで荒れている場所もあります。
それは剱に限りません。穂高もそうですし、谷川岳でもそうです。昔は登れたけれど、今は崩壊や崩落がひどくて登れない場所はたくさんあります。体が変わるように、山も変わっていく。だからこそ、今の自分にとっての山を、今の自分の体で、今の自分の計画で選び取ることが重要なのかもしれません。
話してくれた人 竹内洋岳(たけうち・ひろたか)
1971年、東京都生まれ。プロ登山家。立正大学客員教授。
1995年にマカルー(8463m)に登頂し、初めて8000メートル峰の頂に立つ。1996年にはエベレスト(8848m)とK2(8611m)の連続登頂に成功。以後、8000メートル峰への挑戦を続け、2012年に14座目となるダウラギリ(8167m)に登頂。日本人初、世界で29人目となる8000メートル峰14座完全登頂を達成した。14座のうち11座は酸素ボンベを使わずに登頂している。
2013年、植村直己冒険賞、文部科学大臣顕彰スポーツ功労者顕彰を受賞。
話を聞いた人 鳥井ナオキ(とりい・なおき)
日本アルプスを望む信州辰野で、心と体によりそう本を作る出版レーベル「ALPS BOOKS」代表。松本市で日本アルプスヨガセンターを主宰し、ヨガの普及に努める。アシュタンガヨガ正式指導者。ヨガの実践・指導を10年以上続けている。
訳書にアシュタンガヨガの教本『AṢṬĀṄGA YOGA ANUṢṬHĀNA』、同流派最高指導者R. Sharath Jois氏による自伝的健康マニュアル『AGELESS』(共にR. Sharath Jois著)がある。
私は今回のインタビューまで、竹内さんと面識はありませんでした。ダメで元々という思いで依頼をしたところ、快く引き受けてくださり、こうして記事として皆さんにお届けできることになりました。
なにせ、日本人で初めて世界の8000メートル峰14座すべてに登頂した方です。事前に抱いていたのは、厳しく、近寄りがたい「山の人」というイメージでした(失礼)。そのため少し緊張して臨んだインタビューだったのですが、実際の竹内さんはとても穏やかで、理知的で、驚くほど謙虚な方でした。
どのような質問にも丁寧に耳を傾け、こちらの意図をくみ取りながら言葉を返してくださる。その姿から感じたのは、長年にわたって山と真摯に向き合ってきた人ならではの、懐の深さでした。
登山を一つのスポーツとして捉え、自分の体と技術、そして山に向き合い続けてきた竹内さんだからこその、貴重なお話の数々。本当にありがとうございました。
十山十色、次回お話を伺うのは人気登山Youyuberのやまくっく・やぎちゃんです(予定)。
お楽しみに!

ALPS BOOKSが制作しているヨガの実用書『ヨクキク山ヨガ』は、山に親しむ人がこれからも末永く山を楽しむために、体と呼吸を整える一冊です。
山へ向けた日々の準備の一環に
山から帰ったあとのケアに
次の山へ向かう力を育むのは
無理なく続けられる小さな習慣の積み重ね
そんなテーマを掲げて本を制作しています。
現在、この本のクラウドファンディングを実施しています。
クラウドファンディングでは、書籍の先行予約に加えて、オンライン山ヨガクラスなどのリターンも予定しています。クラウドファンディングは8月30日まで。
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